どうも、みなさんこんにちは。MORE IT スクールMr.Inooです。
今日は塾の先生になったわけ(正社員編)をお話しします。
まず、前回の投稿で塾の先生になったわけ(アルバイト編)をお話ししました。
読んでない方は前回の投稿をご覧ください。
この記事は非常に長いので、ご了承ください。
大学1年生から始めた個別指導塾のアルバイト講師ですが、
自分に合っていて、とても有意義なアルバイトでした。
私は16:00に大学の授業が終わるとまっすぐ電車に乗って地元の駅にある
個別指導塾へ走って向かっていました(笑)
大学1年生から3年生までは水曜・日曜以外週5で塾の先生やっていました。
理系の大学だと、4年生になると、どこかの『研究室』に入らなければならず、
4月から、私は自分の学びたかった『有機化学』を専門にしている研究室に
入ることができました。
私は就職活動をせず、『大学院』に行くつもりでその研究室に入りました。
そして、6月に『大学院』の入学試験に無事に合格することができました。
4年生になってから研究室に入っていたので、毎日が忙しく、朝の9時から夜の10時くらいまでは研究室で実験・勉強に励んでいました。
ですから、当然、塾のアルバイトができず、土曜日のみ週1回塾の先生をしていました。
私の記憶があいまいなのですが、2月の末だったか3月の初めだったかに『卒業論文の発表』がありました。
1年間の研究の成果を発表する非常に大切なものでした。
これが通らないと『卒業』ができないのです。
1月中からピリピリした空気で卒業論文の準備に追われ、このとき人生で初めての『インフルエンザ』にかかりました。
(今までインフルエンザに感染したのはこの時だけです)
それで、卒業論文の発表の日を迎え、私は無事に終えることができました。
同じ研究室の仲間と切磋琢磨し、終わった喜びをかみしめていました。
そこで、事件は起こりました。
研究室の仲間のひとりが卒業論文の疲労からなのか、倒れてしまったのです。
そのとき、私の担当教授は昼ご飯を大学院生たちと食べていました。
その担当教授は、研究室の子が倒れているのに、
『私には関係ない』の一言
で済ませていたのです。
『えっ?マジで??』
と思い、ある決断を下しました。
普通、大学院に上がる場合は最低2年間勉強するのですが、
私はこの教授のもとで『あと2年間勉強していいのだろうか・・・。』
『人として成長できるのだろうか・・・。』
そして私は大学院に行くのが決まっていたのですが、教授のもとへいき、
『大学院へは進学しません』と伝えました。
もともと、その教授の考え方や指導のやり方に疑問をもっていたり、人間性に共感できなかったのも原因の一つですが、どうしてもこの件の一言にひっかかり、大学院への進学を断念しました。
さて、ここからどうしたのかというと、このままいったら4月から何もすることがないので、これでは流石にまずいので、どうしたらいいのか考えました。
それで結論に達したのは・・・『教えることが好き』
ってことでした。
だったら、正社員になってしまおう!と思い、アルバイト雑誌『an』を購入して
塾の先生の正社員の募集をさがし、面接に行きました。
そこの塾で無事に採用され、すぐにでも来てほしいと言われたので、
大学の卒業式に出席することなく、『春期講習』から働いていました。
それからその会社を辞めるまで3年間勤めました。
今思うと、その教授の一言がなかったら
私は今、塾の先生になっていなかったと思います。
人生にはターニングポイントがあるとよく言いますが、
私の場合、この時であったと確信しています。
あの時の決心は自分でもスゴイなと思います。
長い文章最後まで読んでいただき、ありがとうございました。